http://daily.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1476700742/
1 名前:ぷらにゃん ★[sage] 投稿日:2016/10/17(月) 19:39:02.52 ID:CAP_USER9.net
滋賀県彦根市教育委員会は17日、同市の稲部遺跡で、弥生時代後期から古墳時代中期(2世紀から5世紀)までの
大型建物や、鉄器を生産した鍜冶工房群の跡が見つかったと発表した。
遺跡は邪馬台国が栄えた3世紀前半に最盛期を迎えた大規模集落跡で、建物や工房群は国内有数の規模という。
市教委は「祭祀(さいし)・政治都市と工業都市の両面を持ち、巨大勢力の存在を示す」としている。
市教委は2013年度から市道改良工事に伴う遺跡調査を実施。これまでに竪穴建物などが見つかっていたが、15年6月からの調査で、
首長が居住した建物や儀礼施設、倉庫と考えられる大型建物7棟の跡、鉄片や鉄塊などが大量に出土した竪穴建物23棟の跡が新たに発見された。
大型建物の中には、床面積が100平方メートルを超える国内有数の規模の建物が2棟あるほか、竪穴建物は鉄器を生産する鍜冶工房と考えられ、
同時期の工房としては国内最大規模という。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161017-00000081-jij-soci
3 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/17(月) 19:40:02.01 ID:0DQGZoIH0.net
ありがとう渡来人
ありがとう韓半島
侵略と残虐行為ごめんなさい
4 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/17(月) 19:40:14.68 ID:mC1PU9Ai0.net
天皇には新羅王子の血が流れている
アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)は、『古事 記』、『日本書紀』に見える新羅の王子。『播 磨国風土記』には神として登場する。
古事記においてアメノヒボコと阿加流比売神の 子孫・曾孫が、菓子の祖神とされる多遅摩毛理 (たぢまもり・田道間守{日本書紀})であ り、
次の代の多遅摩比多詞の娘が息長帯比売命(神 功皇后 )の母、葛城高額比売命であるとされて いる。
しかし日本書紀において結婚したのはアメノヒ ボコでなく意富加羅国王の子の都怒我阿羅斯等 (つぬがあらしと)とされている点で異なる。
また古事記ではアメノヒボコの話は応神天皇の 段にあり、応神天皇の治政を述べるくだりで出 現する。
日本書紀では応神天皇は神功皇后の子であり、 神功皇后の母はアメノヒボコの末裔の葛城高顙 媛(かずらきのたかぬかひめ)であるため、
古事記と日本書紀では系譜(アメノヒボコが出 てくる話の時系列)が逆転している。
http://i.imgur.com/E3linwh.jpg

5 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/17(月) 19:40:29.09 ID:mC1PU9Ai0.net
京都の八坂神社は新羅系。
当社は慶応4年(1868)5月30日付の神祇官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。
創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が
新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。
http://www.yasaka-jinja.or.jp/about/
実は金姓は昔から日本にいた。
山城国 諸蕃 新羅 真城史 史 出自新羅国人金氏尊也
新撰姓氏録(1200年前に作られた日本の姓氏の集まり)
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/syoujirokusiragimimana.html
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/syoujirokumokuji.html
ヤマトの国は奈良県だが、すぐ近くの山城国(京都)には新羅国王の子孫の金氏が住んでいた。
9 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/17(月) 19:45:12.72 ID:DS7J0dgX0.net
>>4-5
>出自新羅国人金氏尊也
おまえは「尊(みこと)」という文字をスルーしている
漢文を読み下すと、
「出自は新羅の国の人、金氏(かなうじ)の尊(みこと)なり」
今も日本には金氏(かなうじ)という姓がある
新羅人≠朝鮮人
現存する新羅の郷歌はもちろんのこと、日本の記紀に多数残されている新羅の地名や人名は朝鮮語と完全に無関係
石器狩猟生活をしていた朝鮮人が半島へ南下してきたのは早くても中世以降
中世国家の高麗ですら、朝鮮人の直接の祖と断定するにはためらいがある
当時の半島南部は日本の勢力下であり、ヤマト文化圏内であり、新羅は朝鮮人と何の関係もない
32 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/17(月) 21:07:49.04 ID:bmWnPRRH0.net
畿内説危うし
34 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/17(月) 21:18:46.61 ID:jm/E+2mG0.net
>>32
そうやって茶化して逃げてばかりだから、九州説はバカにされるんだよ。
35 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/17(月) 21:23:50.73 ID:lZqb3NuT0.net
この発見は高松塚級だよ
日本史を書き変えることになるな
40 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/17(月) 21:33:05.08 ID:jm/E+2mG0.net
>>35
別に書き換わらないんじゃないの?
近畿説にしてみりゃ当たり前の発見だし。
51 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/17(月) 21:54:58.47 ID:jm/E+2mG0.net
まず、近畿圏には鉄を産出する土地が無い。
鉄は出雲地方から仕入れていたのさ。
すなわち、少なくとも奈良の勢力は、出雲も支配下に置いていたわけさ。
鉄は出雲地方から仕入れていたのさ。
すなわち、少なくとも奈良の勢力は、出雲も支配下に置いていたわけさ。
55 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/17(月) 21:59:48.09 ID:XLGx9Iyu0.net
>>51
奈良の遺跡からは鉄製品はわずかしか出土しないんやけど・・・
奈良は大勢力どころかすぐ近くの滋賀さえ勢力下に置けていなかったのが確定したんやで
畿内説涙目やな
奈良の遺跡からは鉄製品はわずかしか出土しないんやけど・・・
奈良は大勢力どころかすぐ近くの滋賀さえ勢力下に置けていなかったのが確定したんやで
畿内説涙目やな
60 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/17(月) 22:03:49.33 ID:yLbYFUgM0.net
>>55
当時は思っていた以上に群雄割拠の時代だったんだな
そんな中で魏の後ろ盾を得て優位に立とうと考えたのが九州にあった邪馬台国勢力ってことか
63 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/17(月) 22:05:15.68 ID:jm/E+2mG0.net
>>55
あーなるほど。
近畿圏外だとそういう感覚なのかw
あのさ、奈良や京都は、掘れば必ず何かが出るんだよw
しかも、様々な時代のものがね。
だから、逆に出土しないって事が証拠なのさ。
中心地だからこそ、鉄器は埋まってないんだよ。
なぜなら、その後の時代にもずっと受け継がれていたから。
逆に、武器が埋められているって事は、被支配地域の証拠なんだよね。
中央との勢力争いに敗れ、武器を取り上げられ埋められた。
墓の副葬品として武器が多いってのも、争いが多かった証拠。
安定した中央の墓では、武器ではなく文化的なものが副葬品となるからね。
72 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/17(月) 22:12:43.39 ID:YGg3KWId0.net
>>55
これで邪馬台国争奪レースから奈良が脱落したのか
奈良県民の皆さん、今までお疲れ様でした
95 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/17(月) 22:34:21.43 ID:ALKy7vAM0.net
>>55
おお、なるほど!
かえって畿内説にとっては不都合な内容の発見だったのか
66 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/17(月) 22:07:43.68 ID:jm/E+2mG0.net
まあ、これで邪馬台国=大和国が証明されたわけですね。
魏から金印を受け、朝鮮半島の南部まで支配下に置いた邪馬台国。
その巨大武器製造拠点が奈良県と隣接する滋賀県の彦根市から出土したというわけ。
魏から金印を受け、朝鮮半島の南部まで支配下に置いた邪馬台国。
その巨大武器製造拠点が奈良県と隣接する滋賀県の彦根市から出土したというわけ。
75 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/17(月) 22:15:24.04 ID:jm/E+2mG0.net
今回の発見は、九州説にとって致命的になったねw
九州説の最後のよりどころだった鉄器。
その鉄器の巨大製造拠点が、奈良県に隣接する滋賀県の、しかも東岸から出てきたわけでwww
そんな、吉野ケ里だとか小さな規模じゃない。
まさに、奈良を中心とした近畿規模の邪馬台国の本拠地の姿がハッキリ見えてきたのだからw
九州説の最後のよりどころだった鉄器。
その鉄器の巨大製造拠点が、奈良県に隣接する滋賀県の、しかも東岸から出てきたわけでwww
そんな、吉野ケ里だとか小さな規模じゃない。
まさに、奈良を中心とした近畿規模の邪馬台国の本拠地の姿がハッキリ見えてきたのだからw
118 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/17(月) 23:14:37.07 ID:Tj6sSygg0.net
>>66 >>75
いやいや、邪馬台国は九州に置き
鉄器を作る極秘の中の極秘は畿内に隠した、とも考えられる。
九州と畿内は陸路こそ険しいが
瀬戸内海の潮流を使えば簡単に往復できるのだ。
120 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/17(月) 23:18:24.65 ID:jm/E+2mG0.net
>>118
戦争始まったら間に合わないよwww
現代じゃねえんだからw
125 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/17(月) 23:28:04.26 ID:qBVoBAaD0.net
>>120
鉄器は九州からたくさん出土してるだろ
平時から備蓄してたのさ
奈良の属国民には鉄器はあげなかったんだな、九州人も案外ケチだ
153 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/17(月) 23:53:47.14 ID:ekMmPkV+0.net
>>125
そりゃ、金銀財宝をしこたま溜め込んでたのに畿内には全くあげませんでしたからw
344 :名無しさん@1周年 :2016/09/14(水) 01:58:26.16 ID:ylZGO6lJ0
魏志倭人伝によれば、女王国の南には狗奴国があり、女王と敵対していたという
つまり女王国の所在地は邪馬臺国連合の南端付近であると分かる
卑弥呼は魏から親魏倭王と認められたのだから、その敵対国である狗奴国は
魏との交流を持っていないと考えられる
ゆえに、邪馬臺国がどこであったかは出土品の分布を見れば一目瞭然
九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif

金銀細工や硬玉やガラス製の勾玉など、大陸産のものが
佐賀、福岡、熊本にかけて大量に出土していることが分かる
そしてそれは熊本県八代市あたりでぷっつりと途切れている
ここが邪馬臺国と狗奴国の勢力境界線である
ここから考えれば配置は下図となる
http://i.imgur.com/HUOosIP.gif

99 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/17(月) 22:48:12.18 ID:+g/gVXN20.net
九州説唱えてる考古学者って関川っていうやつしかいないの?
それとも他にいる?誰がいるの?
108 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/17(月) 23:04:33.28 ID:bmWnPRRH0.net
邪馬台国時代に、畿内が近江の鉄器工房を勢力下に入れてたなら、湖西、湖南で作業させるわ
湖東やったら、軍事力蓄えていつでも畿内を制圧出来るやろ
130 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/17(月) 23:35:49.35 ID:jm/E+2mG0.net
魏志倭人伝だって、素直に読めば近畿説しかないんだよ。
魏志倭人伝に登場する倭国の地名は、伊都国までが考古学的に特定されている。
それは、伊都国までが正確な記録になっているからだ。
では、なぜ伊都国まで記録が正確なのか?
それは、魏志倭人伝にも書かれているとおり、外国人は伊都国までしか立ち入りを許されていなかったからだよ。
魏の施設が実際に往来したのは伊都国までだから、そこまでは記録が正確なのさ。
そこから先の記録は伝聞でしかない。
なぜ、邪馬台国は、外国人を伊都国までしか入れなかったのか?
それは、防衛のために本拠地を隠す意図があったと容易に推察できる。
142 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/17(月) 23:43:26.68 ID:fqgc54Pc0.net
>>130
朝貢してた宗主国様に向かって「お前らの立ち入りはここまでだ!」って?
そんな無礼を働いたら庇護を受けるどころか攻め滅ぼされるぞw
朝鮮の王なんて中国の使者を三跪九叩頭でお出迎えしなきゃいけなかったのに
172 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 01:17:42.77 ID:mnEWgi3b0.net
もう九州って決まっちゃったね。
しょうがないな。
本当は俺も近畿だと思うんだよ。
でもみんなが九州だって言うんだからしょうがないよね。
じゃあ九州ってことにしといてやるよ。
しょーがないなこいつらは。
178 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 01:34:29.44 ID:73bmZpQW0.net
正直微妙な場所だな
滋賀南部ならヤマトの範囲だろうがここは別勢力と考えた方がいいのか
181 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 01:51:21.46 ID:VYiJ9XR00.net
>>178
なぜそんなに邪馬台国を矮小化したがるんだよw
日教組教育か?
日本全土はおろか朝鮮半島の南部まで支配していた邪馬台国ならもはや大日本帝国における東京砲兵工廠みたいなものだよ。
199 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 05:59:34.93 ID:a5DplV+/0.net
纏向遺跡と箸墓古墳で畿内で確定しちゃってるからプロレスも盛り上がりに欠けるなw
207 名前:名無しさん@1周年[age] 投稿日:2016/10/18(火) 07:30:40.91 ID:fugtrMyS0.net
滋賀に工房ということはやはり水運なのかな
鉄材の輸送、それと大量の木炭、作った鉄器の輸送
馬があるかどうかわからないから陸上輸送はどうかなだもんね
524 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 20:30:58.65 ID:cuMiV1XP0.net
>>207
古代より製鉄の原料として、温泉地帯の湿地帯に生える植物(葦や茅,薦等)の根に,ある種の鉄鉱石(褐鉄鉱)が付着した塊を「すず」といいます。
この 「すず」は、"たたら"製鉄より古い製鉄方法によって、"たたら"より低い温度(土器を焼くくらいの温度)で精錬することができるそうです。
息長氏、後の国友村かな。
615 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 22:59:22.86 ID:kEszDz2a0.net
>>524
細かい事言うとオキナガ氏は多分鉄砲鍛冶してない。
オキナガさんは千年灸作ったりしてた
210 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 08:10:05.26 ID:6EoLUjpN0.net
ここ、鉄がとれる伊吹山のすぐ近くなんだよな
236 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 11:29:27.72 ID:TNuaUW2+0.net
>>210
どれだけ鉄がとれるの?
まさか鉄鉱石?
254 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 12:12:06.05 ID:ME+dS97O0.net
>>236
6世紀の時点だと、日本の国内需要を賄える量が可能だったとか
266 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 12:25:25.43 ID:TNuaUW2+0.net
>>254
今はもう採れないのか
270 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 12:29:59.45 ID:MblfpDEx0.net
>>266
日本は金採って銀採って銅採って鉄採って、売るものが無くなって人材育てるしかなくなったんだよ
ありがとう日本列島
213 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 09:47:59.98 ID:dM++B0Zl0.net
たかだか工房が見つかったくらいで鬼の首を取ったように
大喜びする畿内人。単細胞もよかとこ
221 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 10:37:34.70 ID:hENrNVCG0.net
今でも滋賀県から岐阜県にかけてのこの地域は各メーカーの有力工場がある。
地下水が非常に多くて、水がただで得られるというのが大きいらしい。
ちなみに、琵琶湖の水を飲んでるのは京都と大阪で、
滋賀では昭和までは井戸水が主流だった。
224 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 10:45:09.39 ID:IrBf0lxu0.net
邪馬台国はなんで大陸に後ろ楯を欲しがったか
先住民の縄文人が強いからだろ
結局、邪馬台国は滅んだけどな
229 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 11:15:04.39 ID:yBbnUIXS0.net
>>224
交易利権の正統性の確保では?
232 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 11:24:41.28 ID:6EoLUjpN0.net
鉄製品を捨てていたってことは、輸入に頼っててリサイクルする技術が未熟だったってことかね
祭祀道具ならわかるが
246 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 11:41:48.88 ID:yBbnUIXS0.net
>>55
宗像の海人族などと組んで半島の鉄のインゴット供給ルートを押さえてしまえば支配下におけるな。
>>232
今回大量に出たのは鉄滓、つまり鉄製品を作った際に出るクズ。
他に出ているのは鉄の欠片、つまり材料。
255 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 12:12:40.79 ID:je0DKSmA0.net
>>246
>半島の鉄のインゴット
「半島の」ってお笑いネタかよ
281 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 12:40:31.69 ID:yBbnUIXS0.net
>>255
古代史では常識だが?
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/sankan-benkan.htm
>『三国志魏書』弁辰伝
>國出鐵、韓、濊、倭皆從取之。諸巿買皆用鐵、如中國用錢、又以供給二郡。
283 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 12:43:38.18 ID:LHUJnKNw0.net
>>281
製錬された鉄の入手の容易性が関わってくるわ
アウトリガーカヌーで日本海越えて、琵琶湖まで運ぶわけやろ、あの場所やと
ひっくり返るわ沈むわで大変や
敵対してた畿内も避けて、波が荒い日本海側やからな
238 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 11:29:50.42 ID:NNsCJ/UV0.net
倭人伝読む限り倭人ってブラジルとかインドネシアの未開裸族みたいな感じだったんだな
240 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 11:32:44.58 ID:eYFC7COH0.net
>>238
風俗記事に故意に南の民族の記事を混ぜているからだよ
積雪の多い北部九州で裸足はさすがにない
当時温暖化していたわけでもないし
256 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 12:13:18.66 ID:L6WtIV+20.net
>>238 そうだよだから欧州人ぶりたい中国人ぶりたいだけの韓国人には到底想像もつかないであろう鏃の無い頃からの弓矢(鏃無しは北回りでは来て居ない)も当然に使用して居たし
農耕も第一波の夷人は芋作そして第二波の倭人は南方種の粟稗稲蓮は勿論ひょっとしたら北方種の麦すらも持って来てる
青銅器も北回りだけで無く南方からも入って居ると考えた方が出土品の様式問題を解決し易いしね
更に夷人は現代のコンピューターナビゲーションシステムも舌を巻く程の星天外洋航海術も有し倭人の渡来にも寄与した
ところで韓国人は夷人を弓の一流な人とか幸せな嘘を信じて居るけど
「夷」って字は身を屈めている人って意味だからね
姿勢が悪く気が立つと飛び掛かって襲う者であり韓国人の好きな表現で言えば倭猿の事なんだよw
275 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 12:32:46.30 ID:je0DKSmA0.net
>>256
縄文人はアマのイワ船でポリネシア、ミクロネシアから大型カヌーで渡来した
饒速日をの一行を祖先とする。
アマとはカヌーの転覆防止用に取り付けたフロートでポリネシア、ミクロネシアで共通の言葉。
イワ船は鳥船とも書いていることがあるが、ハワイ語で軍艦鳥をイワと呼び
スタミナがあり飛行距離が長く、朝夕に海へ飛んでいきカモメなど
他の鳥が捕まえた魚を横取りして島に帰ってくる。
その軍艦鳥を遠洋航海する時船に乗せておくと軍艦鳥が最寄りの島に向かって飛んでゆく。
そいつの飛んでいく方へ進めば島にたどり着くことが出来るという
イワ(=軍艦鳥)ナビゲーション搭載のアウトリガーカヌーがアマのイワ船、鳥船だ。
饒速日ニギハヤヒとその一行は北赤道海流〜黒潮にのって紀伊半島へやってきた。
あ、もしかすると阿波の国へ先に入ったかも知れない。
289 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 12:58:35.25 ID:yBbnUIXS0.net
>>275
ポリネシア人の祖先のオーストロネシア祖語集団が台湾付近から太平洋に拡散したのは5000年くらい
前だぞ。
それ以前は黄河流域から長江流域にかけての東部にいた。
Y染色体ではO1a系統、O2a2*系統(xO2a2b-M7, O2a2c1-M134) が主。
日本列島の縄文時代人の中では少数派。少なくとも現代人の4割近くあるD1b系統とは異なり水稲の恩恵
で人口が大きく増えなかった集団だ。
292 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 13:04:01.49 ID:je0DKSmA0.net
>>289
>水稲の恩恵
>で人口が大きく増えなかった集団だ。
水稲の栽培に失敗したというのか
ところでお前、水稲ってどんなものか知ってるか
ずーぅっと前NHKの番組で見たけど
昭和30年代中頃の新潟なんかへその辺りまで水が張った池のような水田で
水稲作ってたんだぞ。
260 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 12:16:37.38 ID:ME+dS97O0.net
九州説が更に厳しくなったと思ってる人
違うよ
学会ではとうの昔に九州説なんて見向きもされてない
263 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 12:19:54.10 ID:T02Bf4uT0.net
>>260
その学会は瓦解してる
畿外で鉄作ってたのに畿内には無い
ことから考えてみ
265 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 12:23:46.56 ID:ME+dS97O0.net
>>263
今日もボクの邪馬台国探しに精が出るね
269 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 12:28:51.93 ID:T02Bf4uT0.net
>>265
畿内はいくら探しても無いよ
268 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 12:27:25.69 ID:jQQ+Zr2o0.net
魏志倭人伝では、なんで、へんてこな描写が多いんだろうか。
冬でも野菜が出来るとか言うのは、パプアニューギニアくらいらしいぞ。
小人族とか、歯黒族とか、色々書いてあるが。
298 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 13:21:47.25 ID:dM++B0Zl0.net
鍛冶工房が見つかっても肝心要の鉄製品はどうして見つからんのだ?
畿内からの鉄の出土数は離島壱岐国よりも少ないんだぞ。工房もあって
おかしいとは思わんか?要するに九州の工房が九州よりも安い労働力の
滋賀に工場を移転した訳だ、そこで作った製品は九州に持ち帰って
九州人が使ったと言う事。畿内のような文明の遅れた所では鉄は
宝の持ち腐れになるからな。
畿内からの鉄の出土数は離島壱岐国よりも少ないんだぞ。工房もあって
おかしいとは思わんか?要するに九州の工房が九州よりも安い労働力の
滋賀に工場を移転した訳だ、そこで作った製品は九州に持ち帰って
九州人が使ったと言う事。畿内のような文明の遅れた所では鉄は
宝の持ち腐れになるからな。
301 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 13:28:28.06 ID:je0DKSmA0.net
>>298
また鉄ガー、鉄ガーと言ってる馬鹿が出てきたな。
鉄は九州のように粗末にするものではない。
再利用するから遺跡に捨てたままにしないのが近畿。
310 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 13:47:55.02 ID:jQQ+Zr2o0.net
>301
>再利用するから遺跡に捨てたままにしないのが近畿。
鉄の再利用って、玉鋼は?のなかから10%分しか出来ないらしい。
電炉があったのか。玉鋼の不純物とかは再利用しないけどなー。
314 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 13:53:13.95 ID:ZzbIr8iW0.net
三角縁神獣鏡はやたらと枚数が出てて、基本四世紀の墓からしか出ないので
卑弥呼の鏡じゃない、日本製やとか言われてるが
画文帯神獣鏡は現時点でまだ60枚程度しか無いこと
これは間違いなく中国製である事、三世紀に作られたのは確実である事、から
卑弥呼が貰った100枚の鏡の可能性が結構ある。この鏡は畿内から主に出てくる
そして、和泉黄金塚古墳からは、景初三年、即ち卑弥呼が魏に使者を送った年号の入った
画文帯神獣鏡が出てるんだとか
卑弥呼の鏡じゃない、日本製やとか言われてるが
画文帯神獣鏡は現時点でまだ60枚程度しか無いこと
これは間違いなく中国製である事、三世紀に作られたのは確実である事、から
卑弥呼が貰った100枚の鏡の可能性が結構ある。この鏡は畿内から主に出てくる
そして、和泉黄金塚古墳からは、景初三年、即ち卑弥呼が魏に使者を送った年号の入った
画文帯神獣鏡が出てるんだとか
333 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 14:48:26.98 ID:eYFC7COH0.net
>>314
神獣鏡にかんしてひとつ
呉の地域である湖北省鄂州市で、魏の年号である黄初二年(221年)半円方格重列神獣鏡
が出土している
ちなみに後漢代ものは半円方神獣鏡、重列神獣鏡などが出土している
後漢はともかく、当時敵対していたはずの魏の年号をもつ神獣鏡が出土しているが、こ
れはどう説明すべきなのだろうか?
当時は湖北省鄂州市がもっとも鋳造技術が高く、その後各地に影響したとみられて
いるらしいが、何の理由もなしに敵の年号の入った鏡を作ることはありえないと
思うので、戦争の関係なしに敵国がオーダーしたとしか思えないが、その場合、
三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡のオーダーもありえるのではないだろうか?
神獣鏡にかんしてひとつ
呉の地域である湖北省鄂州市で、魏の年号である黄初二年(221年)半円方格重列神獣鏡
が出土している
ちなみに後漢代ものは半円方神獣鏡、重列神獣鏡などが出土している
後漢はともかく、当時敵対していたはずの魏の年号をもつ神獣鏡が出土しているが、こ
れはどう説明すべきなのだろうか?
当時は湖北省鄂州市がもっとも鋳造技術が高く、その後各地に影響したとみられて
いるらしいが、何の理由もなしに敵の年号の入った鏡を作ることはありえないと
思うので、戦争の関係なしに敵国がオーダーしたとしか思えないが、その場合、
三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡のオーダーもありえるのではないだろうか?
341 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 15:20:34.82 ID:tgiGUvAc0.net
>>333
221年は蜀が呉に攻めていった夷陵の戦いがあった年で、その前後で
孫権は(それに対抗する為に)形式的に魏から呉王に封じられてるから
その年代の鏡が出てもおかしくないのでは
221年は蜀が呉に攻めていった夷陵の戦いがあった年で、その前後で
孫権は(それに対抗する為に)形式的に魏から呉王に封じられてるから
その年代の鏡が出てもおかしくないのでは
343 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 15:26:40.61 ID:tgiGUvAc0.net
>>341
呉王に封じられた以上、魏から物が下賜されてもおかしくないないだろ
丁度卑弥呼が100枚の鏡を貰ったように
若しくは封じた時に魏から監察を兼ねた使者が来て、それが使っていたかもしれない訳で
350 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 15:48:38.51 ID:eYFC7COH0.net
>>343
わざわざ銅鏡を相手国にオーダーして下賜するというのも
監察官が使う(何に?)ためにオーダーするというのも可能
性としては低いそうだね
354 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 16:13:05.09 ID:B0oys40D0.net
>>350
魏から呉への下賜品なんだから、魏の年号が入ってて当たり前だろう。
後、黄初二年(221年)は、まだ呉は独自の年号を持っていない。
独自の年号を持つのは次の年222年から(黄武)。
当時の呉の立場(呉王に封じられていた)事や、まだ独自の年号を持っていなかった事を考えると
黄初二年という魏の年号を持つ鏡が呉の勢力圏内から出ても別におかしくはない
356 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 16:19:32.73 ID:eYFC7COH0.net
>>354
孫権は蜀攻撃のために停戦を目的として、魏側に臣下の礼をとっただけで
魏側もそれを承知していただろうとはおもうが、なにより
何故、尚方で作らなかったのかという大きな疑問がある
359 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 16:28:53.98 ID:B0oys40D0.net
>>356
仮に下賜されたものでなかったとしても、魏と呉の勢力内なら、どこで作ろうが
黄初二年の時点では、黄初二年と記載するしかない。
呉は魏に臣従しており、かつ呉は独自元号を持たなかったんだから
蜀だったら章武元年になってただろうけど
365 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 16:43:53.37 ID:eYFC7COH0.net
>>359
うん、だから何故、漢代から続く伝統ある官制工房である尚方で作らなかったのかな?
ということだよ
もしかして機能を喪失していたのかな? 漢三国晋代の銅鏡に詳しい人、教えて
337 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 15:03:19.99 ID:N+eM4Ldn0.net
>>314
いやいや、中国で出土している鏡というだけで、全部が中国産ではないよ
平原以降の墓から出土した鏡はかなり疑った方がいい状態
特に18?以上の鏡はね
新たな多方向の考察が必要
316 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 13:56:41.57 ID:ME+dS97O0.net
九州説の人は本当に卑弥呼の古墳発見で観光客がたくさん来ると思ってるの?
言わなくても分かってるとは思うけど、場所によっては名前すら数字の第○○古墳とか
数字で呼ばれてるのすら少なくないのに
珍しくないんだよ古墳って
321 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 14:10:43.13 ID:je0DKSmA0.net
郡から奴国までの距離の配分
ソース http://www.i-apple.jp/samantha/2004/03/post_96.html
帯方郡 〜 狗邪韓国 7000余里 66% 630km 66.5%
狗邪韓国〜 対馬 1000余里 9.4% 95km 10.0%
対馬 〜 壱岐 1000余里 9.4% 100km 10.5%
壱岐 〜 末廬国 1000余里 9.4% 52km 5.5%
末廬国 〜 伊都国 500余里 4.7% 53km 5.6%
伊都国 〜 奴国 100余里 0.94% 16.5km 1.7%
こうして%で示すと壱岐国〜末廬国〜伊都国〜奴国の距離感が
郡〜壱岐国の距離感とずれていることがわかる。
いかにも九州派らしい捏造感がみなぎった数字だwwwwwww
325 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 14:18:39.91 ID:ukXv/Ksk0.net
>>321
帯方郡〜狗邪韓国はどうか知らんけど、
他は変でもないわ
あんちゃん、地図見てるん?
329 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 14:33:57.76 ID:je0DKSmA0.net
>>325
地図見て自分で緯度経度調べようと思って検索したら
距離を書いたホムペがあったから数字を拝借して比例配分したのだ。
小学校の算数程度で九州蛮族のウソがあっけなく見破れるw
こういう比例配分で確かめるというのがテキトーな距離を
報告した郡の役人と九州捏造派に対抗するは良い手法だ。
327 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 14:25:45.50 ID:3vZ4Aggz0.net
しかし鉄もないのによく大和王権なんて作れたよな
後ろ楯でもあったのだろうか
348 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 15:40:55.58 ID:TNuaUW2+0.net
>>327
奈良地方に他の地域から纏まった集団が植民してきたとしか考えられないね。
0からあの地域で始まったとするには足りないものが多過ぎる。
344 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 15:27:45.03 ID:yBbnUIXS0.net
しかし、どうしていつも淡路島の垣内遺跡が忘却されるのだろうか?
https://www.awajishima-kanko.jp/manual/detail.php?bid=757&lid=1&at=
>今からおよそ1,800〜1,900年前の弥生時代後期に鉄器づくりを行っていたとされる、丘の上につくられた村の跡です。
>平成24年9月には国史跡に指定されました。
>発掘調査では23棟の竪穴建物跡が見つかり、その内の12棟が鉄器づくりを行っていた鍛冶工房であったことがわか
>りました。100点を超える鉄製品をはじめ、多数の石製工具類なども発見されています。当時貴重であった鉄器をつくり
>続けた村として周辺の地域にも大きな影響力をもっていたのではないかと考えられています。鉄が貴重であった時代
>にこれほど多くの鍛冶工房が発見された遺跡は少なく、しかも同じ場所で100年以上も続いており、当時の社会の様子
>を知ることができる貴重な遺跡だとされています。
351 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 15:54:28.42 ID:6gGqmiwa0.net
大陸(江南)はともかく、「百済や新羅からきた渡来人(笑)が文化文明を日本にもたらした」
という先入観は捨てもらいたい
……あの半島に朝鮮人が古代から住んでいたという誤った固定概念も
掘ってもロクなものが出てこない辺境地帯から来た田舎者(祖先は日本人だったりする)が
最新テクノロジーを持ってくるわけがないだろ
灌漑の痕跡すらない半島から来た渡来人()が、日本でため池や水路を作ったとか教科書に
書いてあったが……以下略
という先入観は捨てもらいたい
……あの半島に朝鮮人が古代から住んでいたという誤った固定概念も
掘ってもロクなものが出てこない辺境地帯から来た田舎者(祖先は日本人だったりする)が
最新テクノロジーを持ってくるわけがないだろ
灌漑の痕跡すらない半島から来た渡来人()が、日本でため池や水路を作ったとか教科書に
書いてあったが……以下略
355 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 16:15:55.91 ID:6EoLUjpN0.net
>>351
山東半島→朝鮮南部経由ルートは陸伝いで安全だから大陸系氏族の流入は多いよ
358 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 16:24:06.78 ID:yBbnUIXS0.net
>>355
いや、遼東から朝鮮半島北部は先住狩猟民がいるし、滅亡した燕人やらなにやらが逃げ込んできたりしているし、
何度も紛争やら何やらが起きているし、そもそも碌な街道がないし、安全と言い切れるものではないでしょ。
この辺りも基本的には船での交通が主流なんだし。
376 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 17:34:00.02 ID:je0DKSmA0.net
鉄もないのによく
という摩訶九州莫迦
ナポレオン戦争の時の大砲は青銅の鋳物だったことを知らないのねんのねん
青銅は別名「砲金」
昭和20年代30年代東灘貨物駅〜神戸港〜神戸駅南の湊川貨物駅を走っていた
8620型蒸気機関車は三宮〜元町〜神戸のオフィス街を通るから
OLや通行人を驚かせないように汽笛を鳴らす代わりに砲金で作った
キンピカの鐘を鳴らしてたんだわな
二言目には鐵ガー、鐵ガーという九州莫迦は迷わず成仏しろよ
南無阿弥陀仏、アーメンソーメン冷やソーメンw
388 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 19:45:59.29 ID:6EoLUjpN0.net
河内といい、皇居がわりとローテーションしてるのは単なる引越しなのか、それとも大王家の交代なのか
397 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 20:51:32.34 ID:je0DKSmA0.net
九州派が近畿をやり込める唯一の心の拠り所が鉄だったのに
口惜しいだろうね
御愁傷さま
402 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 21:18:42.08 ID:D5/+Mf480.net
>>397
近畿の鉄は溶けやすいんです!?w
398 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/18(火) 20:57:42.07 ID:JbMjGNYL0.net
倭国はまだ連合国家だった訳だから
畿内周辺に大規模遺跡があっても不思議ではない
都は巻向に置き司祭的な役割を担っていたのだろう
畿内から大王女王クラスの巨大古墳が多数あることからも想像がつく
地方には仕官やら遠征の王族のものが多く一回り控えめとなっている
423 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 23:57:05.60 ID:wBn99Rg+0.net
>>398
纏向から鉄器が全然出てこないのでその理論は成立しないよ
当時の大和は近江とは別勢力だった
427 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 00:05:32.62 ID:DVjT+2uc0.net
>>423
基本的に農具と武器に使われる鉄器が宮を中心とした都市で大量に放置されるかね?
宮も代替わりで移っているのだから、実用品もほとんど移っているのでは?
429 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 00:11:11.94 ID:K4A3JMJh0.net
>>427
遺物の出てこない遺跡なんて無いよ
出てこないものは最初からそこには無かったの
399 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 21:01:01.70 ID:euBNfZm00.net
そういや近江に前方後円墳とかの遺跡って聞かないな
455 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 07:52:20.97 ID:+OK+mGKz0.net
>>399
近江古墳は山の中に多いんやで
卑弥呼のも多分そんな感じ
どこかで忘れられてひっそりしてる
416 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 23:40:45.40 ID:je0DKSmA0.net
神武東遷物語も九州の木を伐りつくしてハゲ山にしたので
大和に入って
倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく
青垣 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし
と豊かな森林に涎を垂らしたのかな
444 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 04:59:51.34 ID:7asZ8Cg/0.net
住宅跡の中の鍛冶場と報道されているから
規模としては家内手工業レベルの鍛冶屋だろうね
滋賀は鉄器が出土していたけど大和説の奈良は鉄器はたった4つしか出土してないから
明らかに滋賀は別の勢力がいたか、時代が4世紀以降のどちらかで、
結局邪馬台国とは無関係という結論になる。
446 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 06:10:13.45 ID:S4bW2Q/Q0.net
前方後円墳という言葉が後付けで適していない
円形部分を上に見るのは日本だけだよ
海外の人はう円形部分を下に見る
ユダヤ三種の神器「マナの壺」の形をしているからね
良く見ると縊れ部分に取手があるのが分かる
https://livedoor.blogimg.jp/yaguchi16/imgs/0/4/049c07f7.jpg

http://sekainoura.net/wp-content/uploads/2012/05/image042.jpg

461 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 09:37:36.77 ID:FOPFIXN80.net
邪馬台国関連スレなのにこっちは平和だなw
462 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 09:56:54.33 ID:+LZ8Q3Cq0.net
>>461
考古学関連なので、倭人伝と記紀しかしらない奴が入ってこれないからな
いかにあいつらの無駄な長文コピペがうざいかがよくわかるw
463 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 11:05:10.78 ID:4hFty8Z+0.net
>>462
よく倭人伝だけで場所を断定しようと思うよなw
人の願望ってのは恐ろしいw
474 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 18:05:18.86 ID:nlLIh3J10.net
大和は、邪馬台国(壹 or 薹)だと思うよ。
魏史倭人伝(三十巻からなる魏の歴史書の当方の未開・野蛮人を伝聞した記録。歴史書。軍人のために書いたのではなくて、王朝の正当性を
訴えるために、比類無き公平さと、普遍性を以って後世の評価に耐える王朝の正義を訴える為に書いた歴史書。だから、完成は、魏呉蜀三国時
代の終了後の次代の王朝の末期になる。)の言う処では、邪馬台(壹 or 薹)国は『水行三十日陸行一月』のところにあるが、洛朗郡から水行
三十日陸行一月と言う解釈があって、それでも、九州を飛びだしており、更に不思議なのは、歯黒国とか、コビト国があると言う箇所である。
コビト伝説は、北海道であるから、仮に十年くらい前に発見された、ジャワ島のコビト旧人のフローレンスとか、パラオで見つかった、900
年前迄生存していた、人類を言っているのであれば、九州島とは考えられない。
http://www.afpbb.com/articles/-/2363003?pid=2726517
コロボックルは北海道である。
つまり、邪馬台(壹 or 薹)国は、九州の東の関西だと思う。水行は、海でないというが、韓半島から急流の対馬海峡とかと違い瀬戸内海は、
海沿いに歩いてゆけるから、水行と書いたのではないか。海を渡るという感覚よりも、中国の黄河を渡る感覚であろうし。実際には、中国人は
行ってはいない。一大卒が伊都国だから、不弥国以南(以東)は、危険じゃなかろうか。
489 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 18:55:36.79 ID:S4bW2Q/Q0.net
>>474
倭人の範囲って広いんだよな
東南アジアから北海道辺りまでの土人を指す蔑称だし
476 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 18:21:24.34 ID:kEszDz2a0.net
や、そもそも古代、「ヤマト」と呼ばれていたのは滋賀県なんですよ。
やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき
から始まる歌があるけど、奈良の山々は青く見えないでしょう
滋賀県では遠くの山はだいたい青い
http://shigatoco.com/photos/2014/01/01_01-660x400.jpg

477 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 18:24:54.80 ID:ssTl7pCq0.net
>>476
北陸やな、見えてるのは
485 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 18:34:44.90 ID:kEszDz2a0.net
で、あとこの万葉集の歌ね。
この「やまと」が奈良だったら海原ってなんやねんと
大和(やまと)には 郡山(むらやま)あれど
とりよろふ 天(あま)の香具山(かぐやま) 登り立ち
国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立つ立つ
海原(うなはら)は 鷗(かまめ)立つ立つ
うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は
この「やまと」が奈良だったら海原ってなんやねんと
大和(やまと)には 郡山(むらやま)あれど
とりよろふ 天(あま)の香具山(かぐやま) 登り立ち
国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立つ立つ
海原(うなはら)は 鷗(かまめ)立つ立つ
うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は
486 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 18:48:32.45 ID:eubbQJBg0.net
>>485
大和川開削前は淀川と湿地で繋がっていたようですが。
大和川開削前は淀川と湿地で繋がっていたようですが。
487 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 18:50:38.48 ID:kEszDz2a0.net
>>486 湿地wwwww
488 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 18:53:45.18 ID:eubbQJBg0.net
>>487
笑う点がない。
霞ヶ浦も徳川家康江戸入府前は周辺も含め湿地だった。
今の風景写真を見て、安土城には水も堀も無いと言うようなもの。
笑う点がない。
霞ヶ浦も徳川家康江戸入府前は周辺も含め湿地だった。
今の風景写真を見て、安土城には水も堀も無いと言うようなもの。
495 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 19:05:45.81 ID:kEszDz2a0.net
>>488 つーか安土城には堀も天守閣もなかっただろ
497 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 19:16:08.79 ID:LWKPPGIz0.net
>>495
堀はあったし
天守もあったと思うけど
天守閣じゃなく、天守塔だろとかってのは
そもそも後世の区分の仕方だろうし
499 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 19:46:22.15 ID:kEszDz2a0.net
>>497
>堀はあったし
安土城付近はそもそも水を引っ張ってこれるような川がない
近くの観音寺城だって堀はない山城だ
適当な事言うな
地元民なめんな
505 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 20:07:20.41 ID:DVjT+2uc0.net
>>499
安土山は本来は琵琶湖に突き出た半島だということを知らないとか?
干拓と埋め立てしたの知らないの?
504 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 20:04:46.52 ID:qyTA/GnH0.net
>>487
奈良盆地って西側一帯は開拓が進むまでは水浸しだったんやでー。
もっと大昔は湖だった。
で、水が引いたらオイシイ肥沃な大地が姿を現した。
まあ、それが奈良盆地が統治者に狙われた理由だろうけどな。
511 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 20:20:27.46 ID:hIxqk4n3O.net
>>504
奈良盆地西側は丘陵地なんだが?
縄文遺跡もあるし馬見丘陵地なんて銅鐸も見つかってるよ。
527 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 20:32:35.76 ID:4hFty8Z+0.net
>>511
http://blog.goo.ne.jp/nambashout/e/1858903decf3df8427ce6f66be8b8ae7
一方、河内平野とこれだけの比高差がある奈良盆地には、かつて古代奈良湖があったとされている。
周辺の山々から流入する水が溜まった巨大な盆地湖があったと言うのだ。奈良盆地は東西16km、
南北30km、矢田丘陵、馬見丘などはあるものの総面積300平方キロメートルの比較的平坦な盆地である。
奈良盆地に見られる縄文遺跡は例外なく標高45m以上の微高地に検出されている。
それ以下には見つかっていない。やがて稲作農耕を主体とする弥生時代に入ると、
弥生遺跡は標高40mでも見つかるようになる。すなわち、縄文後期から弥生時代にかけて
徐々に奈良湖の水位が下がり、湖畔の湿地帯は肥沃な地味で稲作に適していたことから
弥生人が定住し始めた証拠だと言う。湖畔に豊葦原瑞穂国の風景が生まれた。
510 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 20:19:53.91 ID:otQGRhPzO.net
>>487
湿地の地名として忍海、五十海、飽海とかあるんだが。
512 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 20:21:56.73 ID:kEszDz2a0.net
>>510
海とつながってるからでは?
淡水だったら「沼」だよね、
というかカモメと呼ぶような鳥が生息するかどうかよ奈良に
523 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 20:28:56.20 ID:otQGRhPzO.net
>>512
検索して調べれるくらいしろよ。
忍海は奈良盆地の地名、五十海は静岡県の平野の内陸の山際の地名。
494 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 19:04:32.50 ID:S4bW2Q/Q0.net
4〜5世紀の東晋の僧侶・法顕はインドへ仏典を求め、行きは陸路
帰りはスリランカ経由で船で帰ってきたが、途中、嵐に遭い
3カ月漂流し、耶婆提国(現地読み:イエポーティー)という土地に着いた
恐らく、ジャワかボルネオと言われているが
耶婆提国と邪馬台国と読み方が似ている気がするのと
九州に耶馬渓という土地があるのは何か関連性があるのだろうか
500 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 19:53:20.43 ID:xPam0Ycl0.net
「馬」をバmbaと発音するのは唐代長安の方言
その他の方言ではマーと発音する。
中国で一番古い音読みを残してるのはアモイ方言で
「馬」という姓Beベーと発音する。これは四書五経など古典を読む時の発音。
513 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 20:23:07.94 ID:LWKPPGIz0.net
今の時代に古代奈良湖否定って
どんだけ遅れてんだよ
もう存在してたのは確定してるだろうに
亀石の存在する理由とか知らんのかよ
522 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 20:28:41.55 ID:kEszDz2a0.net
この万葉集の歌ね。
この「やまと」が奈良だったら海原ってなんやねんと
大和(やまと)には 郡山(むらやま)あれど
とりよろふ 天(あま)の香具山(かぐやま) 登り立ち
国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立つ立つ
海原(うなはら)は 鷗(かまめ)立つ立つ
うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は
532 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 20:44:05.82 ID:kEszDz2a0.net
ナラを必死で弁護するのはもういいからさ
邪馬台国が滋賀県でない理由 を上げてみ??
533 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 20:45:13.83 ID:p0b6q3xn0.net
>>532
アワビ獲れへん
538 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 20:52:51.74 ID:R6GrySOk0.net
近江は東西交通の要衝で、糸魚川の翡翠の流通路になるから、呪術支配の卑弥呼邪馬台国の急所なはず
水と土地のある琵琶湖西は穀物倉庫だし、使節送った大陸とつながり、
鉄器生産までしてる
邪馬台国が、生産力上位の近江を従えてたはずがない
むしろ近江が大和に進出した、
ゆえに近江は大和直轄だったと考えるのが自然
進出した理由は鉄器生産に要する木材の伐採目的で、伐採で開けた土地は、
内陸盆地の要塞であり、祭祀空間として
神聖視されるようになったはずだ
卑弥呼は姫川にその名を由来してるのではないか?
祭祀女王は歴代、糸魚川から、近江、
大和と、その中心地を変遷してきたと考えられる
544 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 20:57:12.65 ID:S08DdF0P0.net
奈良へ進出した大和(天孫族)が近江を従えた。
545 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 20:58:12.26 ID:kEszDz2a0.net
>>544 立正佼成会(漢民族)しつこいあきらめろ
549 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 21:01:15.23 ID:S08DdF0P0.net
>>545
立正佼成会だと???さては天理教かな,それとも創価か統一か、正直に言え
550 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 21:04:36.07 ID:kEszDz2a0.net
>>549
天理教(モノノベ氏、伽耶渡来人)でも
創価学会・幸福の科学(藤原氏、鮮卑族およびツチグモ・ハヤト)でもないですよ
私は平氏とか真言宗とかが主なDNA
555 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 21:08:25.38 ID:S08DdF0P0.net
>>550
南朝オタか、それにしてもカルトに詳しいな。
556 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 21:09:38.16 ID:BEN5/BMK0.net
けど邪馬台国が滋賀の琵琶湖の近所なら
魏志倭人伝でも大きな湖の近くにあった
とか触れないかね?
570 名前:ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. [] 投稿日:2016/10/19(水) 21:26:26.68 ID:cJbAIfyX0.net
なにこの偏向記事
福岡県の鉄器の出土数は畿内の数十倍あるのに 有数とか訳のわからん形容つけてごまかしてる
福岡県の鉄器の出土数は畿内の数十倍あるのに 有数とか訳のわからん形容つけてごまかしてる
576 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 21:34:07.53 ID:otQGRhPzO.net
>>570
鉄鍛冶遺跡として出てきた鉄滓つまり鉄を加工する時に出るクズの量が国内有数。
事実でしかない。
鉄器の出土数は古墳以外は放棄されたものだろ?
負けた地域じゃね?
584 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 21:55:11.21 ID:otQGRhPzO.net
>>576に補足ね。
「負けた地域」は鉄器が沢山でる地域ということね。
放棄された数が多いということで。
585 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 21:56:46.26 ID:HObV32Hk0.net
>>584
鉄が溶けたクラスの詭弁やなあ
573 名前:ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. [] 投稿日:2016/10/19(水) 21:31:24.44 ID:cJbAIfyX0.net
はい これが真実の数字ね
いまさら滋賀県で一箇所みつかったくらいでは九州説はぜんぜんひっくり返らない
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/img006.jpg

九州の鉄器数 600
畿内+近畿の鉄器数 160
滋賀県 0 (今まで)
619 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 23:58:49.23 ID:wAjSQCVq0.net
>>573
そのうち3世紀の遺跡から出土した鉄器はどれだけあるんだ?
九州は2世紀後半から没落傾向にあり、3世紀4世紀は冬の時代
復活するのは大陸との交易が再開された5世紀以降
583 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 21:54:56.41 ID:aObxZkDg0.net
滋賀が邪馬台国だったとはな とすると奈良は狗奴国か
590 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 22:00:53.20 ID:kEszDz2a0.net
>>585
普通に金目のものをそうそう捨てませんよw
昔は戦のあと、矢じりなどの金属を拾って集めたって話もなかったっけ
>>583
狗奴国=葦原中津国は大阪
588 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 21:59:30.33 ID:7asZ8Cg/0.net
住居跡の鍛冶場だからな
4世紀以降だから邪馬台国は関係無いし
597 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/19(水) 22:13:50.51 ID:otQGRhPzO.net
>>588
報道では三世紀初から中頃の遺跡だが?
622 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 02:01:27.04 ID:lPJQhf970.net
邪馬台国畿内説の人たちは、銅鐸は邪馬台国の人たちに祭られていたと考えているのかな?
623 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/20(木) 02:05:26.99 ID:RUP0yWR70.net
>>622
じゃないのー
銅鐸と前方後円墳って似てる・・・
625 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/20(木) 02:30:25.46 ID:RUP0yWR70.net
銅鐸王朝=ヤマタイは記録上不自然すぎるし、
無理すれば
近畿圏で
銅鐸王朝滅亡
邪馬台国発生
大和朝廷発生
の順に押し込めるかもしれんが、
普通に
近畿 九州
銅鐸王朝 ヤマタイ帝国
↓
大和朝廷←←←←←東征
のほうが自然だと思う
635 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/20(木) 03:41:13.38 ID:kYAS/iH60.net
デマと書く前に宮崎神宮と樫原神宮のサイトを読め
同じ事が書かれている
643 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 04:01:53.05 ID:gI1mlLpz0.net
『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)のwikiくらいかなー
やまとにはナガスネヒコとアビヒコの兄弟がいて、というのは
他にも書いていたと思うけど
667 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/20(木) 05:13:55.46 ID:lvWagRWp0.net
>>643
もうひとつの『邪馬台国騒動』スレにその資料の名前出したら叩かれたわw
津軽海峡沿岸地域の古代遺跡群の『辻褄』が合う唯一の資料なのに…
645 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 04:05:15.62 ID:zjQK/J2Q0.net
邪馬台国九州説の中で卑弥呼の墓は宇佐と言う者がいる、その理由としては
歴代の天皇の代替わりの時は宇佐に勅使を参拝させるからだそうが。
しかし卑弥呼は独身だったので皇室に子孫を残してはいない。卑弥呼の
弟は初代神武天皇の可能性もあるが卑弥呼は皇室とは無縁なので歴代
天皇の勅使が参拝する理由は不明。宇佐は確かに謎の多い所ではある。
650 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 04:17:59.32 ID:lPJQhf970.net
>>645
>しかし卑弥呼は独身だったので皇室に子孫を残してはいない。
これってけっこう重要だよね。
たとえば宗像三女神やその周辺から独身の女性を探すと高照姫くらいしか見つからない。
『旧事紀』によると、大己貴と高津姫の子は高照姫と都味歯八重事代主となっている。
高津姫 イコール 湍津姫ならば、それは宇佐明神湍津姫命(出典『鹿児島県神社明細書』)となり、宇佐につながる。
ちなみに、『東日流外三郡誌』は信じないが青森県弘前市の鬼神社の祭神は高照姫。卑弥呼は鬼道の達人なんだよな。
649 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 04:17:44.01 ID:VDlSHxIj0.net
2ちゃんでは九州説が大勢を占めていて、そいつらは30年前の邪馬台国論争をやっている
世の中とっくに進歩してて学問の世界では畿内説で確定しているし
テレビのバラエティー番組でさえ畿内説前提で制作している
九州説の化石人間たちは浦島太郎じゃあるまいしこの30年間どこにいたんだ?
世の中とっくに進歩してて学問の世界では畿内説で確定しているし
テレビのバラエティー番組でさえ畿内説前提で制作している
九州説の化石人間たちは浦島太郎じゃあるまいしこの30年間どこにいたんだ?
676 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 08:05:36.68 ID:LLUW6WdW0.net
>>649
現在の主流説がコンパクトにまとまってる書籍ってないのかね?
邪馬台国関連の本はどれも途中からファンタジーになるものが多くて困る
689 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 12:42:07.76 ID:lPJQhf970.net
>>676
確かにそういう本がほしいね。
著者や学者は、それぞれの説を継承した文脈でしか書かないから
冷静に各説をまとめたものは存在し難いのかもしれないね。
特定の説にこじつけず、学閥や学会から距離を置いて、
それぞれの論証ステップには、根拠となる遺物や古史古伝や民俗を丁寧に明示し、
だれでも客観的に概略を理解できる成書が望まれるね。
657 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 04:29:17.61 ID:gI1mlLpz0.net
神郷亀塚古墳
http://kofun.info/kofun/1064
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%83%B7%E4%BA%80%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3
滋賀県東近江市にある古墳。滋賀県指定史跡。日本最古級の前方後方墳で、全長36.5m
被葬者:後方部より並列する2基の木槨(もっかく=木で作られた玄室)が確認され、
有力者の夫妻であろうと思われる。
http://kofun.info/kofun/1064
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%83%B7%E4%BA%80%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3
滋賀県東近江市にある古墳。滋賀県指定史跡。日本最古級の前方後方墳で、全長36.5m
被葬者:後方部より並列する2基の木槨(もっかく=木で作られた玄室)が確認され、
有力者の夫妻であろうと思われる。
687 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 12:16:00.19 ID:zh6Ir6Kq0.net
>>657
倭人伝によると
「其死 有棺無槨 封土作家」(倭人が)死ぬと、棺はあるが槨(墓室)はない、土で密封された塚を作る。
卑弥呼の墓には石室などの墓室はなく、棺桶が直接泥の中に埋められているとある
>2基の木槨(もっかく=木で作られた玄室)が確認され、
神郷亀塚古墳は卑弥呼の墓じゃないなw
倭人伝によると
「其死 有棺無槨 封土作家」(倭人が)死ぬと、棺はあるが槨(墓室)はない、土で密封された塚を作る。
卑弥呼の墓には石室などの墓室はなく、棺桶が直接泥の中に埋められているとある
>2基の木槨(もっかく=木で作られた玄室)が確認され、
神郷亀塚古墳は卑弥呼の墓じゃないなw
688 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 12:23:52.40 ID:gI1mlLpz0.net
>>687
だから石室じゃないのがポイントじゃん
だから石室じゃないのがポイントじゃん
690 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/20(木) 12:48:18.38 ID:GO81F0tV0.net
>>688
東日流やホツマツタヱを持ち出した時点で、近江説は消えましたが。
東日流やホツマツタヱを持ち出した時点で、近江説は消えましたが。
692 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 12:52:05.87 ID:lPJQhf970.net
>>690
まぁ普通はそう考えるよね。
せめて根拠となるパラグラフが他の文献に逸文として残っていたり、
根拠となるパラグラフの内容が地名や神社伝承に痕跡がみられるというなら
同意の余地はあるのだが、正直、むずかしいよ。
まぁ普通はそう考えるよね。
せめて根拠となるパラグラフが他の文献に逸文として残っていたり、
根拠となるパラグラフの内容が地名や神社伝承に痕跡がみられるというなら
同意の余地はあるのだが、正直、むずかしいよ。
696 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 12:59:23.55 ID:gI1mlLpz0.net
>>692
創価学会や立正佼成会や天理教の「常識」はもう非常識になっていくんですよw
創価学会や立正佼成会や天理教の「常識」はもう非常識になっていくんですよw
698 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 13:01:37.33 ID:lPJQhf970.net
>>696
俺は創価学会や立正佼成会や天理教とは無関係だよ。
逆に聞くけど光年とか星雲とかの二十世紀ワードが書かれている東日流と
創価学会が対立しているとする根拠は何?
俺は創価学会や立正佼成会や天理教とは無関係だよ。
逆に聞くけど光年とか星雲とかの二十世紀ワードが書かれている東日流と
創価学会が対立しているとする根拠は何?
701 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 13:08:46.10 ID:gI1mlLpz0.net
>>698
創価学会(鮮人)はその本の共著だよね?
まず近づいていかにも偽書に見えるように書かせた
でもさ、用語はどうあれ
天文知識自体は本当に語り継がれていたものかもしれないんだよね
だって星の動きを知っていたマヤ文明の人と同じルーツの人が来た可能性があるんだから
704 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 13:23:08.51 ID:lPJQhf970.net
>>701
光年という概念は光の速さを知っていなくては成立しない。
光の速さは、星の動きとはほぼ独立した概念。
星の動きが光の速さの影響を受ける現象は年周光行差が有名だが
角度にしてせいぜい0.01度のオーダーでしか違いが認められない。
「まづは宇宙学にして、銀河系大宇宙とは、多数なる恒星及び星雲の集いにて、その広大なること、光速なる計にて直径ぞ二十万光年、厚さ一万光年なる円盤状なる大宇宙にて、日輪は銀河系宇宙なる端に存在せる天体ぞと曰ふ。」
常識的な判断力があれば、このような文章の書かれた『東日流外三郡誌』を論拠にはしたくない。
たとえそれが自説に迎合しようとも、あえて無視した方がかえって主張の妨げにはならないと考えるよね。
706 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 13:31:37.16 ID:gI1mlLpz0.net
>>704
うんうん、
そういう捏造記述をねじこませたんじゃん、幸福の科学の自称古代史研究家が
658 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 04:35:29.77 ID:gI1mlLpz0.net
で、卑弥呼とその夫については
ホツマツタエっていう、おそらく息長(縄文)系の文字で書かれた書に
「ヒルコ(ワカヒメ、オオヒルメなど)」と
「アチヒコ(オモイカネ)」として書かれてる
今回鍛冶場跡が発見された稲部遺跡は旧愛知(えち)郡なんだけど
たぶんアチヒコ(オモイカネ)はその周辺の出身ね
660 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 04:40:25.87 ID:lPJQhf970.net
>>658
『ホツマツタヱ』って上代特殊仮名遣いのような八母音ではなくて、
五母音で書かれた書物だよね。
662 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 04:46:15.72 ID:zjQK/J2Q0.net
卑弥呼と壹與の血縁関係は倭人伝からは分からない。親子では無い事だけは
間違いない。
708 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 13:36:36.50 ID:7KGL5vJZ0.net
http://museum.city.fukuoka.jp/gold/
金印の入った石の箱はその後どうしたのだろうね。
どこかに残っていないのか?また金印が出たあたりは
発掘調査をその後していないのか?
金印の入った石の箱はその後どうしたのだろうね。
どこかに残っていないのか?また金印が出たあたりは
発掘調査をその後していないのか?
710 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 13:40:55.03 ID:gI1mlLpz0.net
>>708
それさ、
「農作業中に偶然発見」
「筑前藩主である黒田家に代々伝わり」って話だけど
その黒田は黒田官兵衛と同じで滋賀県長浜の高月あたり出身の黒田じゃないの?
715 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 13:46:12.12 ID:ucaBnMz20.net
>>708
どこで拾われたかは想像レベルなんだよな。
いくつか比定地はあるけど。
718 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/20(木) 13:49:59.91 ID:5H+ztKP00.net
>>715
細石神社ってのは聞いた事あるけど
他に何処があるの?
716 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 13:48:09.19 ID:zjQK/J2Q0.net
まあ木と土と石しか無い文明開化していない奈良が西日本全土を制圧したと
想像するのは無理な話。特に九州は本州と民族構成が違うし九州の方が
繁栄しているので仲間に加えるのは無理がある。逆に奈良が九州勢力下
になるなら話が通るんだが。
723 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 14:04:41.91 ID:gI1mlLpz0.net
「漢委奴国王」が伊都国時代から保管されてたものだったというのは新発見だった
ありがとうたまには2ちゃんねるからも手がかりが拾えるものだね
724 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 14:08:56.75 ID:lPJQhf970.net
>>723
細石神社の話も知らないということは、
恐らく山誉め神事のことも知らないんだろうなぁ・・・。
まともに会話しようとしたこととか、いろいろと残念な気持ちになる。
757 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/20(木) 15:43:44.16 ID:WnNg8Sq+0.net
>>708 >>710 >>718 >>724
長野や滋賀に地名を残す安曇氏のルーツが筑前の阿曇郷で、福岡の志賀島一帯が本拠地だった
近江安曇町が邪馬台国の範囲内だとしたら、
奴国を併合後に接収した金印を、安曇族の有力者が一族ルーツの細石神社に奉納したのではないか?
もしくは近江奴国の中心勢が安曇族で、国の滅亡に直面して、避難目的で奉納したとか
銅鐸を埋めたみたいな行動様式で
727 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 14:13:46.71 ID:QvVDhN590.net
幸福の科学の大川総裁はイタコ芸で卑弥呼呼んだみたいだが、どんな内容
だったんだ
732 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 14:18:30.76 ID:QvVDhN590.net
大川総裁はイタコ芸で小保方呼んでSTAP細胞はありまーすとか言ってたとか
、断言したらあとあと大変だからな
755 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 15:35:13.38 ID:QvVDhN590.net
思うけど滋賀は卑弥呼じゃなくて神功皇后ヨイショせんといかんやろ、神功皇后
はタブーなのか
756 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 15:39:37.70 ID:lPJQhf970.net
>>755
武内宿禰との関係→皇統を侮辱する気か?
三韓征伐しました→韓国人が火病
先祖は天日槍です→右な日本人が興奮
脱解王の末でOK?→韓国人が火病
どう転んでもやばいw
みてみぃ、出石や敦賀の静かなこと。
766 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/20(木) 16:09:11.92 ID:7KGL5vJZ0.net
長年石の箱に入れて埋められていた金印を、土地を耕していた
百姓が偶然に発見し掘り出して黒田家に献上、
黒田家はそれを受け取り、その後持ち続けていただけだよ。
なぜ埋められていたのか。盗まれるのを恐れて埋められていたのか、
神社の御神体かなにかだったのか、それはわからん。
776 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/20(木) 16:43:56.99 ID:r0NzF2750.net
金印のついでに、
謎の来歴遺物と言えば宮崎県串間で見つかった玉壁があるね
国宝級なのに発掘状況が不詳だから捨て置かれてる
地元で王の墓と呼ばれる古墳群があったが、江戸時代に農地として開墾してしまったらしい
その子孫の親族曰く、
鉄器やら何やらぞろぞろ出たそうで、
その一つに玉壁があって、
農民が家宝として農家屋内に飾ってが
金に困った子孫が売り払ったという
ここに神武天皇との関連を指摘する見解がある
791 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/21(金) 08:41:56.91 ID:5B1Xe1mF0.net
>>776
金印は贋作説があるが玉璧は物自体は確実に本物だという
だが、本物であっても出自が真実だとは限らない
ほんとに串間から出たという証拠がない
例えばボストン美術館に展示されてる伝仁徳天皇陵の出土品は
元は岡倉天心が購入したものだが、調査したところ時代が違うと結果が出てる
明治以降、あちこちの古墳で盗掘転売が繰り返されてる
物が本物であれ、怪しげなルートで伝わってることも多い
歴史性を粉飾すれば高く売れるという背景がある
仁徳陵遺物だと説明すれば高く売れるし、
金印もそこに埋めたからこそ価値が出るという場所がある
玉璧が出たとされる「王之山」は、今現在、串間には実在しないし、
そもそもなぜ探検家が購入できて、所有してたのが前田藩なのか?
そして箱に裏書きした湖山という人物は、
またしても近江(滋賀県)の人間だと言うが実に因果な話だ
海外から持ち込まれた物を、神武への連想から串間で見つかったと粉飾していたり、
あるいは発掘場所は串間ではなく近江だった可能性すらある
金印だってほんとは近江で発掘されてたかもしれないではないか
日向、曽於国の玉壁
http://tokyox.matrix.jp/forum/discussion/374/%E6%97%A5%E5%90%91-%E6%9B%BD%E6%96%BC%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%8E%89%E5%A3%81
箱書きした湖山とは
湖山長愿(こざんちょうげん)
「湖山は、小野湖山で近江の国(滋賀県)に生まれた。
湖山は「号」で、長愿は氏名である。幕末より明治にかけて活躍した漢詩人である。
出自は大事
http://sonobo.blog.bbiq.jp/blog/2010/09/post-27ab.html
松浦武四郎の穀璧(玉璧)
http://blogs.yahoo.co.jp/gotoy05/16592265.html
紀元前二世紀
江戸時代末期・串間から国内唯一の玉璧が出土
http://www.yoshibo51.com/rekishi001.html
★動画
NHK特集「玉璧」の謎を追う
〜串間で出土した古代中国の秘宝〜
http://www.yoshibo51.com/kusima_gyokuheki.WMV
2011/08/14
【文化】ボストン美術館蔵の鏡など5点 仁徳天皇陵出土の「可能性低い」
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1313329599/
802 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/21(金) 12:23:03.32 ID:xKNp66nP0.net
古代史スレはどこもこうだよ
創価学会・幸福の科学・立正佼成会・天理教がべったり張り付いてるから